愛され伏見君の誕生日(猿美)
「伏見君、誕生日おめでとうございます」
「…‥どうも、で室長この書類なんですが」
「プレゼントを差し上げようかと思いますのでこれを見て選んでください」
「気持ちだけで結構なんでこの書類を」
「伏見君、選んで下さい。今すぐに」
「チッ…‥何でですか?」
「時間は限られているのです。さあ、早く選んで下さい」
差し出されたカタログのようなものを渋々受け取ると、その中身は何十人もの女の顔写真が載せられていた。
「室長…‥なんすかこれ。風俗のカタログですか?」
「いえ、伏見君のせっかくの誕生日ですから誕生日プレゼントとして今日一日を豊かにしてくれる恋人レンタルを」
「結構です。で、話を戻しますが」
「伏見君、君だってたまには甘えていいのですよ」
「室長、今忙しいの解ってますよね?そういうの本当に迷惑なんで」
「ですから、あえての息抜きですよ。今日は半休で上がって下さい。淡島君には伝えてあります。さあ、1人ぐらいタイプの女性がいるでしょう」
そう言って笑う宗像の目が笑っていない。
こんな時はもう何を言っても無駄だと悟った伏見は大きな溜息を吐き、ページを捲る。
よりによってこんな面倒な上にウザったい事をしやがって。
唇を噛み締めながらそれを眺めていると、あからさまにおかしいのが1人いた。
そして、その意味を理解して思わず脱力した。
「…‥室長。なんでこれにコイツがいるんですか」
「おや、吠舞羅の八田美咲君ですか。アルバイトですかね?」
「そんなワケあるか!!!いい加減にして下さいよ…‥」
「で、決まりましたか?」
決まりましたかじゃねぇよ。
喉まで出かかった言葉を飲み込んで、じゃあコレでと八田の写真を指さす。
すると宗像がわかりました、と手を叩くと秋山と弁財に連れられてげんなりした顔の八田がやってきた。
「では、伏見君。良い1日を、八田美咲君、宜しくお願いします」
「はあ…‥」
「いや、美咲おかしいだろ?何でお前抵抗しないんだよ?!」
「こちらはきちんと契約をしているのですよ」
宗像が掲げた書類には草薙とアンナのサインが入っている。
伏見は八田の様子をチラリと横目で見たが、何だか酷く気落ちしているようだ。
その後にもう一度先ほどのカタログを見てピンと来た。
「…‥これ全部美咲ですよね」
「おや、バレましたか。流石、伏見君です」
「あからさまな加工じゃなくて上手い具合に少しずつ加工して他人にしてやがる…‥これやったの榎本ですか?」
「いえ、緑のクラン全面協力です」
「アンタ何やってんだ?!」
「ささ、早くいってらっしゃい」
「いや、ちょっと待て!!今俺達が誰のせいでこんな目に!って秋山、弁財離せ!!!」
決して視線を合わせない部下2人に無理矢理室長室から出され、茫然としていると項垂れていた八田が顔を上げた。
「あーもう俺は腹くくるぞ!!猿比古、どうする?」
「どうするじゃねぇよ馬鹿。お前はとっとと巣に帰れ!!」
「帰れるか!!草薙さんに日付変わる前に帰ってきたら許さねぇって言われてんだよ!!それに…‥あの写真バラ撒かれたら俺は…‥」
「ああ、あの一人女装ごっごか」
「やめろぉぉぉぉ言うな!!!忘れろ!!!」
「…‥はぁ。とりあえず、寮に戻る」
「お、おう。俺は…‥どうしたらいい?」
「関係者以外立ち入り禁止だけど…‥もう知るか。来い」
「わかった」
仕方なく一緒に寮に向かう。
そして着いた先で寮を見た八田が足を止めた。
「あ?どうした」
「青服なのにこんなボロッちいとこ住んでんのか?」
「女子寮は立て替えてあって部屋に冷暖房も付いてるがこっちはこんなもんだ」
「俺のアパートより酷ぇな…‥よくお前耐えてんな」
「チッ…‥とっとと行くぞ」
軋む階段を上がりシミだらけの廊下を行くと、伏見の部屋に着いた。
ん、と促され八田が部屋に入るとまるで生活感の無い室内に思わず苦笑した。
二段ベッドとパソコンが置かれたデスク以外は目ぼしいものは何もなかった。
「お前らしいってか…‥」
「はあ?」
「…‥二段ベッドわざわざ上で寝るのめんどくね?」
「別に…‥人の勝手だろ」
着替える伏見を横目に八田は床に腰を下ろす。
古めかしく、狭い室内。
キッチンもトイレも風呂も無い。昔2人で住んでいたあの部屋の方がよっぽどマシだ。
薄汚れた天井から無地の壁を通り過ぎて閉じたカーテンに目をやる。
カーテンの向こうにある窓からはどんな景色が見えるのだろうか。
「…‥美咲?」
「ああ…‥着替えたか。で、どうする?」
「あー…‥そう言えば飯食ってない」
「じゃあ何か食い行くか?焼肉とかか?」
「ってもここんとこまともに飯食ってないからな…・・肉なんて食ったら吐きそうだ」
「相変わらず不健康なことしてんな」
「お前と違って寝る間も無いくらい仕事が忙しいからな」
「んだと?公務員なんてキリキリ働いてりゃいいんだよ!!!…‥っとそうじゃねぇ、じゃあ…‥うーん。あっ!!久々にチャーハン作ってやろうか?」
「あのパイナップル焼き飯のことか?」
「おう!お前だって昔は食ってただろ?」
「それは…‥あの時はそれ以外に食うものが無かったから仕方なく食っただけで別に好きじゃないし」
「嘘つくなよ、お前はダメなものは絶対ダメな奴だってのは知ってんだかんな!!ほら、台所どこにあんだよ?行くぞ!!」
「マジかよ…‥」
八田に腕を掴まれ、伏見は引きずられるように部屋を出た。
その後ろ姿を眺めていると、ふと過るいつの日かの記憶と重なり思わず舌打ちが出た。
共同の台所には勤務中の為か、人気は無かった。
材料なんてあるだろうか、買い物に付き合わされるなら買い溜めしている栄養補助ゼリーの類の方がよっぽどましだと思いつつも伏見はそれを口に出さなかった。
そんな伏見の気もしらず、八田はまるで我が家の物のように不躾に冷蔵庫を開ける。
「おお!!スゲー結構いいもん入ってんじゃん!ご飯は…‥冷凍のストックが結構あるしイケるな!!」
喜ぶ八田を尻目に伏見は眉を寄せる。
この冷蔵庫に入っていると言えば、誰かの飲みかけのペットボトルや名前の書かれたプリン程度だ。
思わず冷蔵庫を開けてみる。
その中には自分が初めてこの寮に来た時から一度も見た事の無いほどの充実した食材がびっしりと詰め込まれていた。
「チッ…‥絶対仕込みだろこれ…‥」
こうなる事はきっと想定内だったのだろう。
そして、事前にチャーハンに使いそうな材料を用意して入れておいたに違いない。
絶対に、だ。そうでなければ冷蔵庫の中にパイナップルの缶詰が入っているはずがない。
冷蔵庫を閉め、本日二度目の深い溜息を吐くとテーブルに突っ伏した。
「ん?どうしたサル。眠いのか?」
「…‥別に」
「すぐ出来っから待ってろよ!!」
八田はそう言って腕まくりをすると、料理を作り始めた。
具材を刻む包丁の音、油の熱せられた音、漂う香ばしい匂い。
そして、フライパンを振る八田の姿。
全てが、懐かしい。
あの頃と全てが違うのに、あの頃と同じように料理をする八田の思考が解らなかった。
まあ、馬鹿の考えている事なんて解らない。
解りたくもなかった。
それを解ってしまったらきっと、俺は自分を許せなくなると思った。
「うっし!完成」
美咲が俺の目の前にチャーハンを置いた。
匂いは悪くない、見た目はパイナップルがメインの焼き飯だ。
スプーンを取りおずおずとそれを口に運ぶ。
変わらない味だった。
焦げたネギも噛むと甘くて熱い果汁が出て来るパイナップルも、醤油と塩胡椒の効いたご飯も、あの頃のまま。
変わったのは、俺達の関係だけだった。
無言でチャーハンを掻き込む伏見を眺めながら八田は思わず噴き出した。
「そんながっつかなくても誰もとんねーよ」
「あ?…‥別に、腹減ってるだけだし。相変わらず果汁でべちゃっとしたチャーハンなんて俺は認めない」
「食いながら文句言うんじゃねぇーよ!!てか胃は平気なのかよ」
「…‥今んとこ」
「まだあるけど食うか?」
「ん…‥」
最後の一口を頬張ると伏見は空になった皿を差し出した。
コイツ、どんだけ飯食ってなかったんだよ。
若干同情しながら八田は残りのチャーハンを皿によそった。
二杯目のチャーハンを食べている伏見を見て、青服に入ってから食太くなったんだな。
そう思うと何故か少しだけ寂しいような気持ちになった。
「…‥食い過ぎた」
「だろうな、ほら水」
伏見に水の入ったグラスを手渡すと空になった皿を洗う。
やたら昔の記憶がちらついて胸が苦しい。
もう戻れないあの頃が、嫌に鮮明に横を通り過ぎていく。
なんて、きっと俺だけだろうな。
洗い物を終えると、視線を感じた。
ゆっくりと視線を動かすと気怠そうな視線とぶつかる。
「んだよ」
「別に」
「次は?」
「無い」
「無いって言うなよ」
「じゃあお前が考えろよ」
「お前の誕生日だろ?!お前がしたいことしろよ!!」
「あったら言ってるだろ?本当に馬鹿だな美咲は」
「クソザル…‥お前表で…‥ダメだ、喧嘩した草薙さんにぶっ飛ばされる」
「チッ…‥」
「とりあえず部屋戻るぞ」
まるで前から此処にいるかのように堂々と廊下を歩く八田に、また懐かしいと思ってしまった。
ああ、もういい加減にしろよ。
眼鏡を外して眉間を押さえると八田の後を追った。
部屋に戻ったところで特段やることも無い。
床に寝そべる八田の横に腰を下ろすと、タンマツを弄る。
会話も無く、ただ時間だけがゆっくりと過ぎていく。
「…‥なあ」
「ん」
「お前さ…‥コレ直せる?」
そう言って八田が差し出したのはかつて伏見が作ったタンマツ操作が出来る腕時計だった。
伏見はそれをじっと見つめると手に取った。
「直すって、俺が作ったんじゃん…‥つーかこれ使いすぎだろ」
「べ、別にいいだろ!!…‥使いやすいし」
「当たり前だろ。馬鹿なお前でも操作できるように作ったんだから」
「んだと?!」
「で、何処が悪いんだよ」
「いや…‥悪いってか、最近画像がなんか荒くてメールとかの受信とかに時間が掛るんだよ」
「そりゃあ、タンマツの方はシステムアップデートしてるけどこっちはそんなのしてねぇからな…‥」
伏見は立ち上がりデスクに座るとパソコンを立ち上げ、時計の裏蓋を外す。
寝そべったままそんな伏見を眺めていた八田が床に置かれた伏見のタンマツを手に取り、少し体を起こした。
「猿比古」
「んな直ぐ出来ねぇぞ」
「お前のタンマツ音楽とか入ってねぇの?」
暇なんだけど、と言う八田に舌打ちを打つとその手からタンマツを奪い音楽プレーヤーを起動させるとイヤホンを差して投げる。
「その画面以外弄るんじゃねぇぞ」
「おう」
イヤホンを耳に入れると八田は薄い座布団を枕にして再び寝転がった。
流れて来る懐かしい音楽。
ああ、コイツまだこのバンド好きなんだ。
あの頃はよく2人で聞いていた。
声も、歌詞も、全てが体に溶け込んでいた。
今はただ、懐かしいとしか思わないのはきっと自分が成長したからなのだろう。
チラリとパソコンに向かう猫背に目をやる。
いや、でもきっとコイツも変わったんだろうな。なあ、サル。
声を掛けようと口を開いたが、軽く息を吐くとタンマツの音量を上げ目を閉じた。
*******
ただ、黙々と作業をしていた。
プログラミングをやり直し、タンマツが自動更新された時は同期できるように改造した。
どうせ美咲が使うツールなんて幾つかしかない。無駄なプログラムはパフォーマンスの邪魔になるから削除。画質の問題はパーツも無いし大幅な改良は出来なかったが画像の解析度を上げる為、全てのバックアップデータは圧縮してSDに保存するように設定。
キャッシュの削除もこまめにしないだろうから、3時間毎に自動削除するプログラムを組み込んでおいた。
そして気付いたら、時刻は17時を少し回っている。
よく文句を言わなかったものだと、振り返ったら案の定八田は眠っていた。
「…‥オイ、出来たぞ」
立ち上がりつま先で八田の頭を軽く蹴るが、全く起きる気配が無い。
時計とタンマツを机の上に置くと、八田の隣に腰を下ろす。
久しぶりにこの寝顔を見た。
手を伸ばせば触れられる。近く、遠い距離。
この距離にもどかしさと苛立ちを感じたのはいつだったか。
「起きろよ」
そう言いながら八田の頬を軽く引っ張る。
昔よりは痩せてはいるが、柔らかく程よい弾力がある。偶に高級料理店で頬肉のシチューとか言うメニューがあるが、解る。きっと美味いだろう。
「おい、起きねぇと食っちまうぞ」
両頬を引っ張ると流石にうなされ始め、思わず笑ってしまった。
手を離し、ゆっくりとカウントを始める。
確か秋だった。
放課後の教室、俺と美咲以外誰もいなかった。
2人でイヤホンをして音楽を聴いていたら、美咲がうとうとしだしてアルバムの後半辺りで寝始めた。
あの時も、同じように心の中でカウントをした。
数字が減るごとに、心拍数が上がった。
あの時の俺と、今の俺は確実に違うのに。
違わなきゃいけないのに、まだ俺の中には変われずに在る部分が残っていたようだ。
馬鹿じゃねぇの。
自分に吐き捨てつつ、カウントダウンがゼロになった瞬間。
俺は美咲にキスをしていた。
鮮明に蘇るあの時の感触にゾクリとした。
「…‥くだらねぇ」
今日一番深い溜息を吐くと眼鏡をテーブルに投げ置くと寝そべる。
寒い、と零すと八田の体を引き寄せ片耳に外れたイヤホンをした。
*****
まるで映画のワンシーンのようにパッと目が覚めた。
たまにある。目をこすり、見慣れぬ天井から視線をそらし自分の体に回された腕の主を辿る。
「猿比古…‥?」
名前の主は驚くほど直ぐ真横で眠っていた。
ガキの頃は寝付きは悪いわ、眠りは浅いわでいつも寝不足のような顔をしていた。
眠ったかと思っても眉間に皺を寄せて苦しそうで、思わず何度か起こしてしまった事があった。
けれど、今は余程心地がいいのか安らかな寝息をたてている。
そんな伏見を起こさないように八田はゆっくりと体を起こすと二段ベッドから毛布を引きずり下ろし、伏見の体にかけた。
タンマツを見ると18時少し前。もう少ししたら起きるだろう。
「…‥お疲れ」
穏やかな寝顔であっても目元の隈は隠せない。
そっとその目元に触れるとそのままわしゃわしゃと髪を撫で、また寝転ぶと外れたイヤホンをつけくすんだ天井を見つめた。
*****
夢を見ていた。
どんな夢かは覚えていないけれど。悪くはなかった気がする。
そんな自分の目を覚まさせたのはタンマツのバイブレーションだった。
ディスプレイには室長の文字。
体を起こし通話のボタンを押す。
「伏見です」
『宗像です。どうですか?楽しめていますか?』
「…‥要件は?」
『ふふ、1階にある多目的室に八田美咲君と一緒に来てもらえますか?』
「チッ…‥行かないって選択肢は無いんでしょ」
『その通りです。では、お待ちしています』
電話を切ると、何やら視線を感じた。
「…‥起きたんなら何か言えよ」
「今起きた」
「…‥室長に呼ばれたから行くぞ。っとその前にタンマツの説明するから」
「そう言えばそうだったな。てか出来たのか?」
「お前が涎垂らして大人しくしてたお陰でな」
「テメェ…‥で、なんか変わったのか?」
「1回しか説明しないからな」
八田が起き上がると自然と体の距離が近付く。
その時、自分の体に掛っていた毛布の存在に気付いた。
美咲とだったら、気持ち悪く無いんだよな。
自分より高い体温の心地よさに気付いてしまった時にはもう遅かったんだ。
「サル?」
「…‥先ずは本体との同期の仕方だけど」
今日はやたら余計な事が頭に浮かんでくる。
手短にタンマツの使い方を教えると、嫌な予感しかしない多目的室に向かった。
「伏見です」
一応、ドアをノックすると中からどうぞと声がする。
ノブに手を掛けるが、もうこの時点で気分が重い。
するとさっさと開けろよと八田がドアを開けてしまった。
室内は真っ暗だった。
「猿比古」
俺の名前を呼ぶと同時に、横にいたはずの美咲の気配が消える。
その時、俺は自分でも信じられないくらいの反射神経で離れていく美咲の気配を指先で掴んだ。
「えっ?」
「伏見さん誕生日おめでとうございます!!!」
美咲の困惑した声と同じタイミングで日高の間抜けな声が響くと、室内の電気が点いた。
クラッカーと拍手の音がしたかと思えば止んだ。
「なっ…・・にしてんだよ…‥テメェ…‥」
腕の中で美咲が顔を真っ赤にしながら呟く。
いや、俺だって解らねぇよ。
離れていく美咲の手を咄嗟に掴んで勢い余って抱き締めたら部屋の明かりが点いて、俺の誕生パーティーをしようとしていた上司と部下達が固まっているこの状況がもう答えなんだろうけど.
「伏見君が喜んでくれたようで何よりです」
室長の言葉に我に返ると2人して飛び退くように体を離した。
室内を満たす何とも言えない空気を俺は一生忘れないだろう。
その後は、まあ用意された飯食って有難迷惑なプレゼント貰って美咲は帰った。
帰り際、振り返ったアイツが何か言いたそうな顔をしていたが無視して寮に戻った。
風呂に入って部屋に戻るとあと1分で日付が変わる。
もう直ぐいつも通りの日々が帰って来る。
もう、戻らない。
戻れない。
タンマツに目を落とすと新着メールが1通届いていた。
登録していないアドレスから。
誕生日おめでとう、の一言だけだった。
END.